- コミック有害論?
大阪市内に住む主婦Aさん。中学校2年生の一人娘と夫の三人家族。まずは平穏な日々…。しかし、最近ちょっと悩んでいることがある。娘のコミック好きである。
ことの発端はこうだ。中学校のPTAの広報委員を務めるAさんは、先日、広報誌「ひろば」の印刷で学校に出かけた。広報委員会はみんな仲が良い。月1回の定例会のほか、学校行事の取材をしたり、先生にインタビューしたりと、一緒になる機会も多いから自然に親密になる。作業の時間は、学校や子供たちの情報交換の場であると同時に、楽しいおしゃべりタイムだ。
そこで、今、女子中学生たちが夢中になっているコミックの話が出た。その時、隣のクラスの広報委員のBさんが、「私はおっぱいの出ているコミックは娘に読ませないことにしているの。キスは許しているけれど」と言ったのだ。最近のコミックの過激な表現は子供をヘンに早熟にしてしまうアブナイしろものだといい、セックス描写なんてのももちろん大ペケ、ベッドに横たわってニッコリほほえむ、体に巻いたバスタオルで胸隠すシーンなんてのもダメ。ホモセクシャルなんて冗談じゃない、子供たちは妄想たくましくなって、非行の原因になると言ったのだ。
Aさんは実は大のコミック好き。小学校、中学校時代は、別冊マーガレットと別冊少女コミックと別冊少女フレンドで育った。くらもちふさこ、植村さとる、美内すずえ、萩尾望都、大島弓子、一条ゆかり、山本寿美香、池田理代子…などを一通り読破した。『エースをねらえ!』の藤堂先輩に胸を熱くし、『ベルサイユのばら』をきっかけにフランス革命史に没頭したものだ。結婚後はレディスコミックの洗礼を受けて、今また少女コミックにはまっているという、筋金入りのコミックオバサンなのだ。
コミック害悪論をぶち上げられて。Aさんは何となく下を向いてしまった。Bさんが日頃からウルサ型の教育ママだったらまだいい。しかし、素朴でおだやかな良いママだけに、そんな人さえ眉をひそめるほどのものなのかと、何となくうしろめたい気分になってきたのだ。
- @!が飛び交う会話。
(@=ハートマーク。このマークありません、すいません。)
Aさんの娘とBさんの娘は仲がいい。家にもよく遊びに来る。Aさんの本棚からいろいろのコミックを出して読んでいるBさんの娘は、なかなかおしゃまでかわいい少女だ。
Aさんと娘たちは世代を超えたコミック友達。あの作家はいい、この絵柄がいい、この主人公はカッコイイと盛り上がっている。「有害図書」「青少年健全育成」なんていう言葉には嫌悪感を覚えるAさんだから、自分の愛読コミックは、そのまま本棚に並べている。キスあり、セックスありの波乱万丈ロマンチックストーリー、ほのぼのカワイコちゃんワールド、サブカルチャー評論家が論じるようなオモシロ作品。ナンセンスや矢追系、ちょっとエッチな大人のまんがなど、およそ30年のコミック人生を物語るAさんの宝物。「教育」なんてウソくさい大義名分のために手放す気になんてとてもなれない。
また、娘の世代のコミック談義が、これまた楽しい!
「こなみ詔子の『湯の花つばめ』が最高。龍一郎くん、めっちゃかわいい〜。CUTEだよ@」「主人公の父母がけっこーいい味出してて、おもしろいぞ!」「日向まひるの『甘いのがお好き』。絵がかわいい!松葉なな…かなり手ごわそう。こーいう女ムカツク。一体何者なんだ! ムラケンはかなりかっこいい@ やさしいし、サッカーしてる姿もいいね。ワタシ、タイプです」「カレカノ(『彼氏彼女の事情』)の雪野チャン、目がめっちゃカワイイ」「『キス』のゴシマ先生、チョーすてき。でもこんな男の人、まわりにいない」「キスシーンになると、一人で勝手に騒いでいるワタシ。なんかはずかしくなっちゃうんだ」……などなど、@!が飛び交う会話が、それこそチョー面白い。こんなビビッドな会話で生きてる彼女たちが、国語の作文となったら、「私は…と思います」となるのだから、はて面妖なと、Aさんはひそかに思っている。彼女たちのテンポのいい言葉の応酬を「日本語の乱れ」と言って、切り捨ててしまうのはどうかなあと疑問に思っているのだ。
ま、しかし、彼女たちが夢中になっているコミックは、Aさんから見ると、まだまだお子様コミック。夢中になって読みながら少女らしい憧れや好奇心を満足させている様がホントにかわいい。奥深くて豊かなコミックの世界の醍醐味はこれから、まだまだ私の敵ではないと、先輩ヅラをしていたのだが…。
- 『火の鳥』は別格。
最近はサブカルチャーとして、風俗画やマンガや面白いアートが市民権を得てきたが、かつてコミックは陽の当たらない裏通り的文化だった。履歴書の趣味の欄に、「読書」とは堂々と書けても、「コミック」とは書けなかった。幸いAさんの両親は、娘のコミック好き(昔は漫画と言った)をそれほど咎めもしなかったので自由に楽しんでいたが、「そんなくだらないもの読むな」と言われている少年はいっぱいいた。
しかし、少女コミックには難色を示す大人も不思議に容認するものがあった。手塚治虫だ。『火の鳥』『ブラックジャック』などが百科事典の隣に並んでいて、「これ、お父さんの本なの?」という子もいた。『火の鳥』は歴史漫画だから読んでもいいと言われている子もいた。
『火の鳥』は確かに圧巻だ。文芸評論家が「作品」として堂々と論じることができるもので(その地位を確立するまでには、世間の偏見と戦い続けた日々があっただろうが)、日本漫画史の金字塔といっても、誰も異論を唱える人はいないだろう。
宝塚市に『手塚治虫記念館』が出来るに至って、思想家、芸術家としての認知も高まってきた感がある。
いずれにしても、手塚治虫を中心とするトキワ荘の作家たち(石ノ森章太郎や赤塚不二夫、藤子F不二雄、藤子A不二雄たち)は、ちょっと別格だ。この系統には、やはり手塚治虫の薫陶を受けた萩尾望都や山岸涼子などいわゆる少女漫画界の重鎮がいる。ついでに『サザエさん』の長谷川町子も別格だ。
- 愛や恋はいけないの?
一口にコミックと言っても、いろいろなものがある。大人もその全てを一刀両断というわけではないのだ。
では少女コミックに眉をひそめる大人は何がいけないというのか。ズバリ、それは「愛だ恋だセックスだ」の内容である。ページを開けば、この世に存在しないような足長クンと、キラキラお目めのカワイコチャンのからみあい(おっと恋愛だ)ばかり、こんなのばかり読んで、空想の世界に浸っていたら、頭が働かないんじゃないかと…セックスについては、きちんとした性教育より前に、生半可な刺激で好奇心ムラムラになったらどうしよう…と、ただでさえ大事な受験を控えて…、と、父母の不安は募るばかりなのだ。
さて、広報部の会話にもどろう。Bさんは、家にあるコミックの全部をチェックしているという。「お父さんが買ってくるスポーツ新聞だって、娘の目に触れないようにするのに苦労するんだから」とため息をつく。Aさんだって、スポーツ紙中面の色ものページの下品さには目をそむけたくなる。
しかし、実際のBさんの娘さんは、Aさんの大人向けコミック(『あすなろ白書』や『東京ラブストーリー』など)に夢中だ。無菌状態だと思っているのは親だけなのだ。
それにAさんは愛や恋を飽きもせずに語る少女コミックが悪いものだとは思わない。自分も中学時代は背伸びして読みながら、恋愛の夢にときめいたものだ。憧れの君は、『エースをねらえ!』の藤堂さんだったが、現実の恋愛相手を藤堂さんと比べたことはない。「すてきな男性に守られたい」なんて自分の生活を投影してはポワンとしていたことは確かだが、ま、思春期の女のコ、そんな秘密の楽しみだってあっていいじゃないのと思うし、まだやったことのないセックスに多少美しい妄想を持ったって、通過儀礼ってもんよと思うのだ。
- コミック擁護&母の戸惑い
今日のようにサブカルチャー全盛のずっと前から、歌謡曲やマンガ(コミックというのは最近の表現だ)などのいわゆる「大衆芸術、風俗文化」に注目していた評論家の石子順造(故人)は、少女マンガのことを、「繰り返し奏でられる歌謡曲のようなもの」と分析していた。愛や恋をテーマに、手を変え品を変え作品を出す。読む人は、その世界に浸って、味わって満足を得る。流行の歌謡曲のようなものだというのである。だから、自分の気に入ったものを選んで楽しめばいいのだ。
Bさんのように、正統派の読書が人間としての肥やしと思う人は、それでいい。しかし、コミックの世界を知れば、「正統派」というものさしの危うさも見えてくるはずだと、Aさんはうそぶく。コミックおばさんの矜持である。
しかし、しかしである…。ひがな一日コミックを読んでいる娘を見ると、「勉強しなさいよ」「ほかの本も読みなさいよ」と、つい口をついてでる。いくら性描写OKでも、内田春菊の過激内容はAさん自身がクラクラするから引き出しの奥にと配慮してしまう。コミック擁護論の立場も、母となると弱みが出てくる。コミックもいいけど活字の世界の素晴らしさも知らねば…うーん。……「ワキが甘い」とは、つまり主義主張のほころびから情に足をとられる、そういうことかもしれない。