少女マンガ名作選特集・残酷な神が支配する

担当者:堀川成美 作成日:2001/12/21

作 品

残酷な神が支配する

作 者

萩尾望都

コミックス

プチフラワーコミックス(小学館・全17巻)

初  版

@1993/4/20A9/20B1994/3/20C11/20D1995/5/20E11/20F1996/5/20G11/20H1997/6/20I10/20J1998/4/20K11/20L1999/5/20M12/20N2000/6/20O2001/2/20P9/20

初  出

「プチフラワー」1992年7月号〜2001年7月号

登場人物:ジェルミ・バトラー、イアン・ローランド、サンドラ(ジェルミの母親)、グレッグ・ローランド(イアンの父親)、ナディア(オルガニスト・イアンの恋人)、キャス(ジェルミの校友)、ビビ(ジェルミのガールフレンド)、マット・ローランド(イアンの弟)、ナターシャ(イアンたちの伯母)、リリヤ・ローランド(イアンの母親)、リンドン・エドリン(保険会社調査員・イアンのよき相談相手)シャロン(ローランド家メイド)、ウイリアム(ジェルミの級友)、チキチキ(同)、チャリー(同)、アダン・Z・オーソン(心理学者)、バレンタイン、ペン先生(カウンセラー)、マージョリー(ナディアの妹)、エリック(バレンタインの双子の兄弟)

あ ら す じ

 ボストン在住のジェルミは、ボランティアと学業を楽しむ毎日だった。ガールフレンドのビビや友人たち、美人の母親サンドラに囲まれた充実した日々は、ある男の出現で一変する。それはグレッグ・ローランドという英国紳士で、実業家であり、伯父がロンドンでアンティーク・デパートを開くための買い付けでボストンに来ていたのだった。
 ジェルミの母サンドラが売り子をするアンティークショップで、店頭に飾られた刀のつばを手に入れたいというのが、グレッグが最初サンドラと知り合ったきっかけだった。刀のつばを売れないと言われて怒りながら出て行ったグレッグに、店の外でジェルミが、つばは売り物ではなく父の形見だから売れない、ということを説明する。
 翌日、また店を訪ねたグレッグは、サンドラを誘い出し、グレッグがその刀のつばの対を持っていて、それが死んだ妻の形見であることを打ち明ける。その夜、グレッグとサンドラは一夜を共にする。そして、独立記念日の日、食事の席でサンドラはグレッグにプロポーズされるのだった。
 ジェルミが外出から帰ってくると、グレッグが車でやってきた。ドライブに誘われたジェルミ。乗り込むと、魔女伝説のあるセイラムに行こうと言われる。そのドライブのさなかで、グレッグは、ジェルミがなぜサンドラを名前で呼ぶのかときいた。ジェルミが父と同じ名前で、父の死後母をそう呼ぶことを母が希望したのだと説明すると、グレッグは感涙し、ジェルミをいろいろとほめ、そして、グレッグは彼に迫ってキスをした。驚いたジェルミは車を降りて逃げ出したが、逃げ帰るとサンドラの元にグレッグから婚約破棄の電話がかかってきた後だった。
 サンドラはその夜、ガス自殺をはかる。
 サンドラの自殺未遂は始めてではなかった。父が亡くなってまもなく、親しかった男友達に去られて、バスルームで両方の手首を切ったことがあったのだ。
 サンドラは病院に運ばれて一命をとりとめたものの、うわごとでグレッグの名前を呼んでいる。医師は目覚めたとき、グレッグがいたほうが、回復が早いのでつれてきたほうがいいとジェルミに説明する。
 仕方なく、グレッグと連絡をとるジェルミ。グレッグはジェルミが一度だけ彼のものになることを取り引きに、サンドラのもとに戻る約束をする。
 グレッグは、サンドラの目覚めにいっぱいの花と共に婚約破棄のとりけしをつげ、サンドラを喜ばせた。その後、グレッグはジェルミをつれてセイラムにでかけ、ジェルミを抱いた。
 それから、グレッグとサンドラの結婚話は順調に進むが、ジェルミの方はグレッグとの一件でガールフレンドのビビとギクシャクしはじめる。サンドラの結婚話が進むにつれて、ジェルミが英国に一緒に行くかどうかでサンドラと話し合いが続くようにもなるが、ジェルミはグレッグとの一件もあり、またボストン生まれということもあって、英国に行くことを拒絶する。執筆者・堀川成美
 しかし、グレッグはサンドラとの婚前旅行の途中で結婚式をあげると、彼はジェルミに、セイラムでの関係は、なかったことにしてほしいと電話で申し出たのだ。
 すべてが元のさやに収まったと思ったジェルミは、知らない土地で二人の継子と共に暮らすだろうサンドラを心配して、英国についていく決心をし、英国のグレッグの家に移り住んだ。

 悲劇の生活が始まった。

コ メ ン ト

 最初、この『残酷な神が支配する』を読みはじめたとき、とても意外な印象を受けた。萩尾望都という人が、こんな日常を舞台にした人間ドラマを書くとは思えなかったからだ。萩尾ファンがこれをきいたら、「何を言ってるんだ」と激昂するかもしれないが、私の中での萩尾というのは、SFやファンタジーを題材にした、どちらかというと抒情的で淡白な印象のある作家だったのだ。
 だから『残酷な神が支配する』というタイトルをきいたときも、タイトルからして、また何かのSF作品ではないかと思ったほどだ。人に勧められるままに作品を手にとり、そして、前評判通りに話の中に引き込まれていった。
 私がこの『残酷な神―』を手にとったときは、話がクライマックスにかかったところで、最終回の感想というものもあがってきてはいなかった。
 最終回の後いろんな感想があがってきていたが、一番多かったのが、「ひっぱりすぎではないか」という感想だった。私はコミックスを主にして読んでいたので、その感想はとても意外に思えた。この6巻までのジェルミの事件を読んだならば、20巻は確実に超えるだろうと思っていたからだ。精神的にダメージを受けた人間が、そこから立ち上がるのは容易なものではない。カウンセリングを受けて軽いもので早くて1年だという。コミックス6巻で半年もかかっているのに、あと一年かかったとして最低でも最終巻は18巻だ。
 ただでさえ、萩尾は非常に丁寧に6巻までの過程を描いている。主人公ジェルミがどんな虐待を受けて、そして心を殺されていったのか。あの丁寧な過程を経れば、逆にその心が生き返るには、同じだけの丁寧さで描くと、どうしても20巻は超えてしまうだろう。それが私の読みだった。
 で、いざ最終巻が発売されて読んでみると、あまりに予測通りのラストだったので、かなりがっかりしてしばらく読み返すことなどしなかった。そして、本当に他の読者さまと違って、精神的に萩尾が耐えられなくなって急いで終わらせたんじゃあないのか、という印象さえもったものだ。とにかく、もの足りなかった。
 ジェルミがもう少し、幸福を感じてから終わってもよかったのではなかったかと。

 それでレビューを書き出す段になり、あらすじを書くために読み直して改めて気がついた。わざわざ「事件」だけを先に書いて、イアンに萩尾はこういわせているのだ。
 「ある悲しみの話をしようと思う」
 これは、悲しみの話なのだ。悲しみの話であるから、あそこで終わりで正解なのだ、と、私は気づいたのである。そこでもう一度この作品を丁寧に考え直すと、実はほぼ萩尾の考え通りに話が進んでいたのではないかと思った。
 萩尾の考え通り、というのは、ストーリーの上で、ではない。その底を流れるテーマと、彼女が必要としていた「踏まえなければいけない登場人物たちの精神的段階」ということだ。
 二巻目のカバーの見返しにも書いてある。「この物語は3部構成になっています」と。確かに本当に、最後から振り返ると3部構成になっている。1部が、ジェルミが事件を起す冒頭のシーンまで。これは萩尾が自身で述べるとおりである。そしておそらく2部が、ジェルミがおちて、そのジェルミのおちたところまでイアンがおちていく決心をするまで(コミックスでいうと11巻あたり)、それから3部が、イアンによってジェルミが、その悲しみから救いあげられるまで、である。
 ストーリーというのは、最初すべて出来上がっているようで、完全ではない。確実に長くなるとわかっている複雑な話を、3部構成と決めた時、確実に決まっているのは、最初の1部くらいまでで、後はストーリーのおおまかな流れができているといった感じである。それが、目標地点が決まったとき、今度はストーリーを運んでいく上で必要な点をおさえて、それを線でつないでいく。点は、たとえば3部なら、ジェルミの告白、間にそれぞれ両親たちのエピソード、周囲の心の病をもち、かつジェルミの症例を解く上で関係のある説明的なエピソード等である。
 それらのストーリーは、3部構成と決めてあり、1部であれだけの冊数と展開を要したのなら、確かに同じ展開と速度を要しないと、全体のバランスが悪くなってしまう。
 二巻のカバーには、3部構成と書きながら、物語そのものは最初(6月)から始まってストーリ時点で1年(翌6月)ほどで終わる予定にしていると書いている。これはあがってきた作品からすると、大幅に違っていて、それを根拠に、なんだ萩尾は延び延びに書いて延ばしているではないか、と思われるかもしれないが、実際は、最初の時間設定の見通しが甘かったというだけのことだろう。ストーリー全体の長さやエピソードは予定していた通りだと思うのだが、実際一度殺された心はそう簡単によみがえるものでもないし、登場人物の心理状態というものは、作者そのものが経験していたのでもない限り、書いてみないと手に取るようにはわからず、書いた後でその再生にどれほど時間が必要かというのがわかってきたということなのだ。

 このストーリーは、「魂の殺人」の物語である。
 サイコ・サスペンスと書き、ジェルミが二人の親を殺したようでありながら、実は殺されたのはジェルミの心だった。
 心が次第に殺されていき、再生するまでのことを書いたのであるが、ジェルミが殺人を犯すまでの段階、あるいは、ジェルミが心を殺されて、愛されるということの意味をジェルミが喪失する段階を、萩尾は納得いくように書いて、そこからまた丁寧に引き上げるように書いている。
 でも読み進めるうちに、ジェルミの心を殺したものは、グレッグの虐待だけでなかったことが次第に解かれていくのだ。それはそっと、話の中に織り込まれて描かれていく。
 ジェルミがあの虐待を招いたのは、サンドラの幸福を願ったからだった。しかしその願う心は、その親達から受け継がれた呪縛であるのだとわかる。サンドラの祖母のイギリスに帰りたいという願い、母のように不幸な人生と死を迎えたくないという願い、夫に愛されて幸福な家庭を作りたいという願い、それらが複合されて、息子のジェルミに植え込まれてしまった。彼はその母親の願いを壊さないために生きるよう育ってきてしまった。母親の夢をかなえておくのは、夫だったはずなのに、その夫の役割を息子であるジェルミが引き受けてしまったとき、母親=自分である夢を壊さないため、その不幸を引き受けねばならなくなってしまう。
 また、グレッグそのものも、ジェルミと出会って変態的欲望を育てたのではなかった。
 自分の育った愛のない家庭のせいで、完璧な愛ある家庭を夢みた。夢見てそれを最初の妻に強いた。それに息詰まった妻は死んでしまう。その妻との傷が、妻との関係をだめにしてしまったボストンでであった、妻の形見である対の刀のつばを所有していた親子に託されてしまう。妻への愛をサンドラに、妻への憎しみをジェルミに。あるいは、妻の愛した別の男をサンドラの元夫=ジェルミに仮託して復讐しているかのように。
 サンドラの、ジェルミ=サンドラという図式ができあがってしまっていたとき、押し付けられてしまった価値観の中に、ジェルミ自身がどれほど存在したろうか。「私の愛を受け入れろ」といっては、セックスを強要したグレッグと、それはいかほどの相違があるだろう。気持ちを押し付けられ、それを「愛である」と既にサンドラから学習してしまっていたジェルミは、親によって心を支配されてしまっていて、あの虐待で「いけにえ」としてささげられることで、具現化してしまったのだ。(C)少女マンガ名作選
 それを、自分の分身としてでなく、あの日の自分への復讐ではなく、彼そのものだけを愛したイアンが救うのは、当然といえば当然なのだ。二人の親から与えられた傷を、ほぐして、癒して、救った。ジェルミという人間を、一人間として扱い、欲望の道具ではなく彼を愛し、愛をそそぎ、誰かの形代や分身としてしか存在しなかった空っぽな彼の中に、自立的である、彼を目覚めさせたのだ。
 
 ストーリーの中では、専門的なことがわからなくても理解が通るように、いろんなケースが紹介されている。子供の頃に受けた傷が、自分の子供の手術でふいに蘇り、自分の幸せの価値観を押し付けようとして、結局は子供の自我を殺してしまい自殺に追い込むナディアの母、あるいは、自分と相手の区別がつかなくなるあまりに、自分を犠牲にして、子供ができることでようやくその傷に気づいてしまったバレンタイン。
 専門的知識を頭に入れたとして、それを文面で説明してしまうのは、学者の仕事である。ストーリーを組み立てるには、自然に、世界に溶け込ませて読者にわかりやすく説明していかねばならない。それは作り物であるから、ともすれば、その「作り物」が見えて、下手をすればくどくどしく説明してしまうのであるが、萩尾は間違えてもそんなことはしない。
 事件を設定して、本当に読者の知らないうちに説明し、解き明かし、終わらせてしまった。たくさんの不可解やわだかまりを、知らないうちに溶かしてしまっていることに、気づいている読者がどれほどいるだろう。
 あれより長ければ、おそらく非常に足りない感じを残して終わっただろう。急いで終わればバランスを崩し、専門分野の人間にも不評を買い、しかしあれ以上長引かせては非常にだらしない作品になったことだろう。
 話の面白さに引きこまれて、早くイアンの恋が成就して幸せになってほしい、ラストシーンに持ち込んでほしいと待ち望んでしまう。仕方ないだろう。読者は傷を負ったジェルミではないのに、ジェルミの気になってイアンの愛に酔いしれているのだ。しかし実際、心の傷を負ったものの回復を待つというのは、あれぐらいもどかしいものだし、回復する本人ももどかしいものなのだ。
 話の面白さと、イアンの愛にひたって読むのもいい。あんな男と出会って、あんな風に愛されてみたいだろう。そういう話の部分を楽しんでも、もちろんOKなのだ。でも、もし余裕があったなら、気づかないうちにたくさんのわだかまりや、不可解を解いてしまっている萩尾の罠と、その抒情的表現力を含めたテクニックを、一度読んだあと、もう一度読み返して、気づいていただきたい。
 ちなみにサンドラは、二人の関係には気づいていたが、虐待には気づいていなかった。救うどころか、自分の愛を奪う男を遠ざけようとしていたのだと気づいた読者は、どれほどいるだろうか。ジェルミとイアンの視点で描かれるあまり、語りの罠に落ち、サンドラを憎んではいないだろうか。サンドラからのお別れとも許しともとれる、最後のキスが描かれた、その価値もわからずに。
 サンドラそのものも、罪を犯しながら、この事件と「残酷な神」の犠牲者なのだ。彼女もまた、罪と気づかず罪を犯してしまったにすぎない。

 語ってもつきないほど、ベテランの技術に埋め尽くされた作品である。

 

 

  No.5 萩尾望都『残酷な神が支配する』 掲示板過去ログ


No.158  「残酷な神が支配する」萩尾望都

今年の春に日経新聞にこの作品に対する書評が載っていました。「風と木の詩」との関連で『いつでも子供は力の支配に抵抗する存在だからこそ、このような作品らに共感する』と言うような記述があって、ずっと読んでみたかった。実際読んでみたら似て非なるものだった。この作品は、トラウマを負った主人公が周りの人達をもその傷に引きずり込んで行く物語でした。タイトルの横に「サイコサスペンス」とあるけど、なるほど。しかし常々思うのだけど、萩尾作品はどんなにどろどろした内容でも妙に乾いた印象を受ける。視覚的には繊細で幻想的なのに、なぜか無機的な印象。「ポーの一族」が顕著な例だと思います(どろどろしてはないけど)。作者が作品に対して客観的なのかな。それとも作品に色気がないのか?単に嗜好の問題?

この作品はまだ連載中ですが、結末がとても気になる。大体、登場人物のほとんどが何か欠落したような人達ばかりで、しかも今の所ジェルミとイアンの会話が堂々巡りで、読んでる内に訳が分からなくなってしまう。イアンがジェルミの傷に引き込まれるあたりから、読んでて気分悪いのだけど、そこは恐いもの見たさの心境で作品に飲まれてます。最後は「救済されてメデタシメデタシ」と終るのかどうか。



No.159 Re: 「残酷な神が支配する」萩尾望都
投稿者:さがみ - 1999/10/01(Fri) 01:25

> この作品はまだ連載中ですが、結末がとても気になる。

まったくその通りで。私は雑誌の方でも毎号読んでますが、一番先に読みます。
今回はどうなるのかハラハラドキドキ。早く結末を知りたいけど、終わってしまうのはちょっぴり寂しいなぁ。
好きなキャラは、主役の二人はおいといて、最近バレンタインがお気に入り。嫌いだと思いながらなぜかグレッグも気になる。さてさて。(掲示板過去ログより転載)



No.160 母親の呪縛
投稿者:飯塚 - 1999/10/03(Sun) 04:16

この作品のジェルミもナディア、マージョリーの姉妹も母親に縛られている。それは呪縛のようだ。萩尾作品にはしばしばこのような設定が出て来る。「イグアナの娘」もその一例と言えるかもしれない。(最近読んだ作品にもっと顕著なのがあったんですが、思い出せない・・・)結局は母親の善し悪しに関わらず自分でその呪縛から開放されなくてはならないわけで、この作品のテーマのひとつになってると思う。分かりきってる事だが、虐待を施した義父グレッグだけが主人公ジェルミに取り付いてるわけじゃないってことだ。

好きなキャラは今の所イアンくらいです。マージョリーが入院したとこまでしか読んでないので、バレンタインの詳しい話はまだ知らないし。でも、好きってったって話が話なだけにねぇ。最後まで読めば、○○が好き、て言えるようになると思います。



No.161 Re: 「残酷な神が支配する」萩尾望都
投稿者:panther - 1999/10/04(Mon) 00:57

確かにこの作品のラストは気になって仕方がありません。
ただ単に救われて終わる・・・・・って言う事はなさそうですし。
1巻の最初に「ある悲しみの話をしよう」(・・・・だったかな?)
というフレーズがあって、その言葉がどの時点のイアンからでたのかが
(グレッグとの事を知った時なのか、それともラストなのか)気になって
います。
視点がイアンになってからの話の展開はしんどいですね。
ジェルミが暴行を受けているのを読むのもきつかったですが
あの時はどっちに感情移入して読むかがはっきりしてたので
それなりに読みやすかったです。
でも、この視点を変えたってところがさすが!だと思いますが。

萩尾望都さんって、「抑圧を受けている側」を描くのは
非常に上手だと思うのですが、逆に「抑圧している側」は今一つ・・・
と思ってしまうのですが、どうでしょう?



No.162 抑圧してる側
投稿者:飯塚 - 1999/10/12(Tue) 03:39

> 萩尾望都さんって、「抑圧を受けている側」を描くのは
> 非常に上手だと思うのですが、逆に「抑圧している側」は今一つ・・・
> と思ってしまうのですが、どうでしょう?
>
確かに抑圧してる側の、その行動の理由が簡単にしか描かれてない事が多いように思います。個人的には萩尾作品はSFものの方が好きなので、深く考えた事はなかったんだけど、言われてみればそうだよなぁ。「残酷な神・・・」は、連載中なこともあって、なんでグレッグがあんなことをしたのかは、まだ全然分からない。あれこれ推測の域ですね。今後、どう説明付けてくれるのか、それも楽しみになりました。



No.327 残神の掲示板発見!
投稿者:キイチロウ - 2001/11/03(Sat) 01:13

長かった連載が終わりましたね。
私が「残酷な神が支配する」を読んだのは、連載が始まって数年経った頃。
プチフラワーと縁遠くなっていたので「萩尾先生の新作も単行本で読もう」
と思っていたら、どんどん巻を重ねて6,7巻になってました。
巻数が増えて買い辛く(重いし、金かかるし)なったと嘆くこと一年。
やっぱり連載は終わりそうもなく、悩んでいた私の背中を押したのが、
知り合いの女性の「もう、モー様にはついていけん」という一言。
リサーチすると「残酷な神が支配する」は萩尾ファンの中で
賛否両論意見が分かれているとのこと。そうかあ(興味ムクムク)。
で、本屋に行って出てる全巻(7,8巻)を買って一気に読みました。
感想は「よくわかんないけど、おもしろい!」。
特に序盤の内容は頭が痺れるような読後感に妙に興奮(笑)。
結局次巻からは、発売日になると本屋に行って即買いです。
中盤のミステリー風な展開も楽しめました。
終盤は私自身が作品の刺激に慣れてしまったのか、
落ち着いてエンディングを迎えることができたと思います。
ちゃんと感想になったか?

最近は、倉多先生の隔号連載があるので、プチフラワー買ってます。>/font>



No.328 Re: 残神の掲示板発見!
投稿者:マリエ - 2001/11/05(Mon) 13:24

はじめましてです。キイチロウさん、私も「残神(ザンシン)」て呼んでましたので、
嬉しくて書き込んでみました。

そうか…モーさまファンの中でも賛否両論あるのですね。
わかるような気もします。
私はコミックスになっている作品は大概読んでいますが、
モーさまは、これだけの長きに渉り、
時代(という単語でいいのかわかりませんが)に
併走してしかも第一線なのがすごいなあといつも思います。
それどころか「ついていけない」方がいるってことは併走よりも寧ろ抜き気味?
速すぎ?

でもモーさまのそれは進化であって、変節ではないと私は感じています。

残神は、冒頭に「ある悲しみの話をしよう」って書いてあったし、
残酷な神が支配するんだし、ハッピーエンドにはなりえないんだろうと
思っていましたが、ハッピーエンド(ですよね?)でほっとしました。
少なくとも、イアンもジェルミも死ななくて良かったです。

ところで私は数年前から、
個人的に小学館の出版物は極力買わないことにしているので
(こういうこと書いていいんでしょうか?ダメだったら削除お願いします
>管理人さま)、
残神の連載が終わって、そういう意味でもほっとしてます。

ではでは。>/font>



No.329 ちょっと感想など
投稿者:カモシタ - 2001/11/07(Wed) 18:37

はじめまして。
メルマガで特集を組んでいるときいて、早速うかがいました。
私はどちらかといえば賛否両論の"否"寄りです……。

それはテーマがキツイとか、重いからなどではありません。
7、8巻くらいまでは「これはモー様の最高傑作だ!」と思っていたのです。
でも後半は、イアンとジェルミが同じ所をぐるぐる回っていたようにしか思えません。
この話に17巻もの長さが必要だったのでしょうか。
引っぱるだけ引っぱった末のあのラストには少し落胆しました。
突然霧が晴れたように何もかもが明るくなるはずはないのですが、盛り上がりもなくフェードアウトしていったという印象は否めません。

彼女自身、2巻の表紙の裏で語っています。
この物語は三部構成だと。そして夏の6、7月くらいまでが第三部だと。
とすると当初の予定より話がずいぶん延びたことになります。
賞をもらったことと何か関係があるんでしょうか?
モー様の無駄のないストーリー運び、凝縮されたエキスのような作品に彼女の天才性を見出していたので(エラそうですが…/汗)、今回はちょっと残念という感じです。

でも買って損したとは全然思わないし、読んでよかったと思います。
ただモー様ゆえに過度に期待しすぎた……のかな。>br>
※ メルマガは現在配信しておりません。(2006.03)



No.330 確かに最後は引っ張りすぎ?
投稿者:飯塚 - 2001/11/21(Wed) 22:35

確かに、終わる、終わると言いながらも、随分、長くなったと思います。
今、まだ読み返している途中なので、なんとも言えませんが、読了した直後は私もずるずると引きずられたような印象を受けました。

人気が出ると作者本人の思惑とは異なって、編集の要望で続けざるを得ないということもあるんじゃないでしょうか?
実際、「残酷な神が支配する」が終わってからは、私はPFを読んでいませんし。そんなこんなで、なかなか終えられなかったと言うこともあるかと思います。>/font>



No.331 Re: 確かに最後は引っ張りすぎ?
投稿者:みんみん - 2002/08/25(Sun) 23:30

 実際、一度傷がついたこころは、こんな風に行きつ戻りつで、なかなかゆっくりでも上向き、なんてすっきりとは行かないですけどね。
 愛する人が現れた時に変わる、って確かオーソン先生が言っていたけど、普通の人と愛し合えるようになるまでまず何年もかかるんでしょうね。>/font>



No.332 再読しての感想
投稿者:飯塚 - 2001/11/25(Sun) 00:05

ぽつぽつと再読していたのですが、昨日、一気に6巻からラスト17巻まで読破しました。

あらためて読み通してみると、意外なことに、それほど冗長的な印象は残りませんでした。
今回、読み通して感じたのは、むしろ、萩尾作品の中では分かりやすいストーリー構成なのではないかということです。噛み砕いて、理解しやすいように描かれているように感じました。テーマが重いだけに、読者に分かるように描くには、くどくならざるを得なかったのではないかと思うのですが、どうでしょう。
ストーリーが大きく展開する、サンドラの葬式のシーン以降、あの、迷路の中をぐるぐると引きずられるようなエピソードの積み重ねも、結局は主にイアンの心理変化を描く上では必然のように思いますし、それぞれのエピソードが似通っていて、それによって冗長的な印象を受けていたように思えたのですが、それは結局、同じことを繰り返し語りかけることで理解を容易にしようとするテクニックだったのではと思います。(技術的なことは堀川さんの方がよくご存知ですし、そのへんの話はぜひお聞かせ願いたいとも思います)

簡単に片付けてしまえば、結局は親のトラウマが子に影響することが背景にありますよね。そういった割とよく知られている心理学上の知識を持ち合わせていない読者にも理解できるように、あのあたりの「くどさ」は、意図的だったのではないでしょうか。

そのへんの事実はさておいても、ドラマとしての完成度はやはり高いし、初読の時に感じた、続きが気になって引き込まれてしまう魅力はごたくを並べるまでもなく、明らかです。

連載が終了したばかりのときは、ラストをあんな形で終えられてしまって、物足りないハッピーエンドに感じたのですけど、今はあれでいいんだと思えます。
萩尾得意の「再生」のストーリーであり、イアンが注いだ愛(この作品で語られた「愛」は、苦しみも悲しみも絶望も伴う愛であり、決して喜びに溢れたものではないですが)が、ジェルミに「愛のようなもの」を自覚させえた点で、カタルシスを与えてくれるわけです。
当初私は、イアンとジェルミはリン・フォレストの森から二度と抜け出せなくなると思い込み、それこそがこの作品のラストにふさわしいと思っていたのですが、こうやって答えを提示されてみれば、納得が出来るものでした。きっといつかは十二月の「遭難」すらも乗り越えて、ふたりは別々の道を辿っていくのでしょう。それまでは、シューベルトでも歌って、河を下り、不確実な愛でつなぎとめられているのでしょう。

萩尾作品は、ラストの曖昧さがひとつの魅力でもありますよね。「ポーの一族」にしても「メッシュ」にしても、はっきりとした答えが提示されない。「ポー」は“そこはかとなく”終わってしまうし(その代わり余韻がたまりません)、「メッシュ」は『選べずに終わる』。「残酷な神が支配する」は、それらの作品と比較して考えると、答えが出ていますから(イアンはジェルミを「生んだ」のですから)、長年の萩尾ファンには不評を買っても仕方ないのかもしれないです。

なにはともあれ、私はこの作品が好きです。最近の若い読者層にも受け入れられるように、萩尾なりの工夫と技術をこらした、ベテランらしい作品だと思います。>/font>



No.333 モー様の・・
投稿者:姫島サイコ - 2001/11/18(Wed) 21:45

こんにちは、私は中2の女の子です!
母上がモー様のファンだったので受け継がれるように好きになりました。
今回、『残酷な神が支配する』は、友達がすすめてくれ、読む事ができました。お姉ちゃんに見せたら、「絵が古い!!」などと言っていました。しかし、連載してた年を見ると、99年とか、とても新しいのでお姉ちゃんは「昔描いたのを今出してる」といってました。
私的に『ポーの一族』ぐらいのが絵が新しいと思ってました。
一体なんでこんなにも変わってしまったのでしょうか?

それにしても『残神』の終わり方がよく分からない・・・。
ホントにあれで・・?
なんだか後味のよくはない最後でした・・・。もっとラブラブとかあればよかったのになっ。
でも私、最後まで泣きながら読みました。
とても(?)いい話でした。またこんなのが読みたいです。>/font>



No.334 Re: モー様の・・
投稿者:飯塚 - 2001/11/30(Fri) 11:14

中2ですか!しかも萩尾作品を他にもたくさん読んでいるんですね。
確かに「ポー」の頃の絵の方が、きれいだと思います。だけど、長年(ん?20年以上前から?)読んでいる身としては、かえって「残酷…」の絵の方が新しく感じるんですよ。今風というか。

終わり方については、本当に、読む人それぞれで賛否両論。
私も初めてラストを読んだときは、気が抜けた、っていうか、他にもあるんじゃないの、ってカンジでしたけど、今はあれでいいんだと思ってます。
(この前にあるカキコミを読んでいただければ…)
ラブラブにならないのは、この作品が決してボーイズものではないから。
(ちょっと論点がズレていたら、ごめんなさい)
ラブラブになれない愛もあるのだと。ならないからこそ、純粋な愛もあるのだと。そんなふうに思ってます。>/font>



No.335 重いテーマでした。
投稿者:向山 - 2001/12/06(Thu) 22:09

始めまして。
 13才の時から読み始めて5年です。
日々、友人に萩尾作品を布教中(笑)。
 
 正直言って、この作品を初めて読んだとき
ENDマークが付けられるんだろうか・・と思いました。
モー様の筆力を疑うなんて、失礼もいいとこで、ファンとしては噴飯ものですが。でもその時、性的虐待についての心理学系の本を読んでいたのです。
 傷つくこと、傷つけること・・助けたいと思うこと・・
どこまでジェルミの心を描けるのか、そして、再生への希望をどうやって見つけさせるのか。しかしわたしは、最終巻の終わりに書き手としての精一杯の誠実さが現れていると思いました。安易な終わりに走らないところ、それでいて幻想的な画面で、どろどろした作品世界のショックを和らげてくれるところ・・と。
 
 全体的には深刻すぎて感情移入が出来ず、結局最後まで傍観者として読んでしまいました。しかし、そんな風に読ませるのが狙いだった様な気もします。人と人との間には絶対的な溝があって、他人を理解するのも愛するのも
とても難しく大変なことで、みんな独りよがりに叫んでるだけじゃないのか、本当は誰かのことを知っているつもりになっているだけじゃないのか。こう問いかけられているような気がしたからです。
・・文句ばっかり言ってるようですが、モー様が大好きです。
 でもやっぱり、残神よりは「メッシュ」が好みでした。



No.336 作品としてどうとか
投稿者:はる - 2002/04/26(Fri) 01:13

はじめまして。
残酷な神が支配するの掲示板があるとは、
いやはや嬉しい限りです。

私はこの作品を「よくできたお話」だとは思っていません。
ポーの一族などのような「物語」ではなくて、
人間の叫び、嘆き、祈りなどをそのまま切り取ったものであると
認識しています。(多少美しく見せる処理はしているのでしょうが)

私たちの身の上に起こる悲しいことは、
戯曲のように美しいでしょうか。
私、悲しみってものが一番しんどいです。わかりにくくて。
対処法がわかんないのです。
自分が悪かったのならいい。自分を責めればカタがつく。
そうでない、外的な理由で悲しいことが起こったとき、
どう説明をつけたらいい?悲しみをどこへ向ければいい?

やりきれない連鎖を描くのに、無駄な描写なんかあるのでしょうか。
いろんな人に悲しみがあること、描いてあるんだと思いますよ。

私も何度も読みましたが、これからも繰り返し読んで、
悲しみとその先についてよく考えたいと思います。



No.337 「よくできたお話」です。
投稿者:堀川@管理人 - 2002/04/26(Fri) 15:58

 たとえそれが事実を元にしたものでも、完全にフィクションでないというのはありえません。ましてこの作品は、フィクションです。
 物語の中には起承転結ある物語らしい物語もあれば、日常を切り取ってみせた物語もあり、作品を作る上でそのジャンルや描き方に決まりごとなどありません。
 優秀な作品であればあるほど、我々を自由にしてくれます。 
 自由にしてくれるとは、現実のしがらみを一瞬たりとも忘れてさせてくれる強さのあるものです。
 そのために「物語」や「作り物」を感じる度合いが強ければ強いだけ、作品の質が下がる、ということであり、
>人間の叫び、嘆き、祈りなどをそのまま切り取ったものであると認識しています
と、あなたに感じさせた時点で、萩尾はたいへん「作品づくり」に成功しているといえるでしょう。
 また、そう感じさせるだけの作品に仕上げるのは、筋そのものだけでなく、彼女のもつ作家としてのテクニックも大きな原因があるのです。誰でもかけるなら、萩尾の名を掲げる必要もなく、彼女の才能を論じる必要もないということです。

 ちなみに、「フィクション」の中では基本的に「無駄な」描写というのはありません。なぜならそれはフィクションだからです。
 「作品」というものをどのように認識していらっしゃるかはわかりませんが、そういうものです。ちなみに、こういうふうにとらえて論じるのが、評論というものです(笑)。



No.338 意外と知られていない「背景」
投稿者:堀川@管理人 - 2002/04/27(Sat) 22:46

 もしかしたら、「残酷な神が支配する」の中で描かれる人間性というもの、意外と知られていないのではないかと、一応フォローしておきます。
 この「残酷な神が支配する」という作品の中で描かれる、少し病的な人間関係の原因、境界例と自己愛の障害という、人格障害がわかっていないと理解しがたいかもしれません。全人口の5%とも言われていますが、その実態は明らかではありません。
 ネット上では、下のURLで比較的わかりやすく解説されていますし、また、参考文献などもあげられていますので、どうぞ。
http://homepage1.nifty.com/eggs/
 ちなみに吉野朔実「ジュリエットの卵」「ECCENTRICS」も同じテーマを取り扱っていますが、やはり書く人が違うのと、テーマが違うためにまったく違う作品になっています。でも、最後に似たようなモチーフが出てくるので、なるほどと思うのではないでしょうか。

 ちなみに作品解説の中でも書いたように思うのですが、読者が読んでいるのは作品を、書いている作者と同じに把握できる視点にいるということ、サンドラとイアンは、作中人物であるため、その視点から見ることはできなかったのだということ、改めてお断りしておきます。



No.339 残酷なラスト
投稿者:ぽとふ - 2002/07/18(Thu) 20:31

すごい遅ればせながらラストを読みました。
近所の本屋(3軒くらいあるどの店も)最終巻を置いてなくて、一人で勝手に「・・・入院?」とか思ってました。よかった、でてて。

こういう掲示板の感想&解説をよんでいると、最初の読後感がどんどん形を変えてきて、改めてその深さを感じました。ので調子に乗って初めての書き込み。(人様のHPに書き込むこと自体人生初。)

☆サンドラについて
 管理人さんの最後のコメント、「サンドラは虐待には気づいていなかった」というくだりなんですが、「え!?」と思った人は少なくなかったんじゃないかと思います。コメントを相当ウキウキ読んだ私も、この部分にだけは相槌をうてなかったです。否定するものではないです。その心には賛成です。ただ、厳密にいうとちょっと違うのではないかと。
 サンドラは、虐待の事実を知っていました。知っていて、その心の弱さのために気づいていないことにしてしまった。サンドラはジェルミを見殺しにしたのです。そのためにジェルミは愛を決定的に見失うわけですから、これは大前提だとおもいます。心の弱さのために息子を振り回し、見殺しにするサンドラ。確かにそれがサンドラですが、けれどもそれが100%じゃない。
 だれの母親でもそうでしょう、こいつ、なんて自分勝手で愚かで矮小な人間なんだ!と青ざめることもあれば、菩薩のようにみえることもあるでしょう。自分を根本的なところで守ってくれるのも苦しめるのも母親で、そんな矛盾を平気で併せ持っちゃう宇宙が母親だと思います。
 サンドラもそうです。サンドラもまた、菩薩でもあるのです。テーマがジェルミの心の傷ですから、サンドラの菩薩面は出来るだけ表にでないように描かれていますが、確かにそのサインは最終巻の前にもありました。ナターシャにジェルミのことを振られてポットを落としてしまうサンドラ。その後サンドラはグレッグとのセックスを拒むようになります。この火傷の苦しみは、サンドラの母親としての苦しみを暗に含んでいるとは読めないでしょうか。また、クリスマスの日サンドラはグレッグの車に「話があるの」といって乗り込んでいます。さらりと描かれていますが、ここ、なにも「話がある」なんて含みの有る言い方じゃなくてもいい訳です。「送っていくわ」でもなんでも。そのまま帰らぬ人となって、結局闇に消えてしまう
サンドラの「話」とは一体何だったんでしょうか。
 あぁ、「え〜・・・」って言う声がちょっと聞こえる・・。「それは深読みしすぎじゃないの」って。いや、弱気を振り払って、私は主張します、サンドラの母親としての愛情は、それとわからないようにわざとひっそりと描かれ、そして、ラストのキスで大逆転するのだと。母親とは、なんとふてぶてしくて、そしてダイナミックなのかと。

☆残酷なラスト
・・・すいません、こっちが本題だったんですけどまたの機会に。長くなってしまってすみません。読んでくださった方、ありがとうございました。また、書かせてください。



No.340 Re: 残酷なラスト
投稿者:堀川@管理人 - 2002/07/22(Mon) 23:27

 どうぞ、書き込みはご自由に、お気になさらずどうぞ。

 いや、サンドラについては別に母親は菩薩である、なんて心情から、ジェルミへの虐待を知らなかったと書いたわけではありません。
 ただ、あの残された日記を見ると、グレッグとジェルミは恋愛関係だった、というふうにサンドラはとらえていたのではないかと読んだのです。2人は愛し合っていた、と。
 週末の夜毎の密会を繰り返していた。
 だからお手伝いがグレッグとジェルミとのキスをみて「できている」という言い方をしたんだと思いますし、サンドラ自体もジェルミによく似た秘書(だったかな?)を憎んだんだと思います。
 グレッグがジェルミを愛するあまり、ジェルミがグレッグとの夜をすごせないとサンドラへ八つ当たりする、だからジェルミにきちんと帰って来てほしい。話がある、といったサンドラの話とは、その恋敵であるジェルミをアメリカに帰す、という話だったのかもしれないですし。
 確かにサンドラの日記の中には、ジェルミとの関係を知っていたくだりが出てきます。でも、虐待だと把握した事実は書かれていませんよね、確か。最後の「ぼくはあの男と寝ていました」といっているのであって、「あの男に虐待されていました」ではないです。
 
 我々は、作家と一緒にいわゆる「神の視点」で世界を見ています。作家が紹介する限りでは何もかも知っているのです。でも、登場人物たちそれぞれは、それぞれの視点からしか世界は見えませんし、それぞれの主観で判断します。
 ジェルミはサンドラの日記をみて思わず虐待まで知っていた、と思い、我々もまた、その語りの罠にはめられて、そう思ってしまいます。
 でもよく読んでみれば、違うのではないでしょうか。



No.341 Re: 残酷なラスト
投稿者: - 2002/08/07(Wed) 03:11

このサンドラのグレッグへの話の個人的会見をしたいと思います。

サンドラはジェルミとグレッグの異常な関係を知ったとき、
自分の弱さによって虐待などの『ありのままを見ること』ができず、
捻じ曲げられたサンドラの思考は
“ジェルミがグレッグを取っている、私の幸せを奪おうとしているのだ”という考えだけに達します。

彼女はジェルミとグレッグに執拗なまでにジェルミのボストン行きを奨めています。
それはグレッグからジェルミを少しでも引き離したかったからで、一度ジェルミをボストンに帰せば、きっとジェルミはボストンが恋しくてイギリスを出たいと言うだろうし、さらにグレッグもその間に自分のことを見てくれてまた出会った頃のようになってくれるはず・・・、という思いからだと思います。

作中、彼女がボストンへジェルミを帰す事を切り出す時の彼女の必死さが普通ではないんです。

彼女はあの朝もやはりグレッグに執拗にたとえ冬休みが始まってしまっている今からでもいいからジェルミをボストンに行かせようと言っています。きっと冬休みに入ってからも一向に続いているグレッグとジェルミの関係があることを知った上でしょう。彼女も一刻も早くジェルミをイギリス、ひいてはグレッグの元から引き離そうと随分焦っており、朝言ってもそっけない態度のグレッグに痺れを切らしての行動でしょう。

「話がある」

私はこの言葉は以上のサンドラから出た言葉だと認識、確信しています。つまり簡単に言えばこの『話』とはジェルミのボストン行きの話であり、グレッグを自分のもとへと帰ってこさせようとして出たサンドラの行動かと思われます。

是非、はい?と思われたお方は初めからサンドラが死ぬあの朝までを読み返してみてください。少しサンドラへの何気ないボストン行きについての発言の時の表情などがまた少し変わって見えると思います。

・・・・違うかもしれませんけど(ここまできて弱気


Copyright(C)2001,Narumi Horikawa. All rights reserved.